もりたのおもしろいものたち。

「無限の猿とあいみょんとメダロット」

 

 「猿がタイプライターのキーボードをいつまでもランダムに叩いていれば、いつかはウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す」

 

 上に書かれている言葉は、無限を想像することによって巨大な数を扱うことについての危険性を示唆する例と言われている。「無限の猿定理」とよく呼ばれているそれは、実際のところ誰が言い始めたのかはわかっていない。いろんな人が昔から似た着想を得ているそうだ。ほぼありえない可能性であっても、定理によれば、十分長い時間がかければほぼ確実にそうなる。めちゃくちゃだ。めちゃくちゃだけども、実際そういう条件が重なれば、ありえてしまう。可能性がゼロじゃない限り、例えばキーボードのSが元からぶっ壊れちまってるとかでもない限り、猿は宇宙が滅ぶほどの時間があればそれをやってのける。主人公じゃん。

 

 そんな無限の時をタイプライターと共に過ごす猿に想いを馳せながら、僕がふと思ったのは「あいみょん」と「メダロット」だ。この2つのカードを並べるとブラックジャックの変わりに言いたくなるワードが出てくる。「盗作問題」だ。あいみょんの「マリーゴールド」がメダロットのゲーム「メダロット2」のBGMに酷似しているという話だ。もう擦られすぎた話かもしれない。Googleの予測検索やYouTubeのサムネイル。様々なところに出てきたその2つのワードは、多くの人がこの問題に興味を持ち、そして、けらけらと笑ったり楽しんだ結果なのだろう。

 

 さて、実際に素人の僕が聴き比べると「似てるところもあれば似てないところもある」くらいだった。確かに麦わら帽子の君が揺れたマリーゴールドあたりは似ているがそこから先はどうだろうと言ったような感覚。そこをバレないように細工したと言われたら、すっかりお手上げだ。悪意のある人間は、自分が正しいとしか思い込まない。むろん可能性はあるかもしれない。同様に、ないかもしれない。その答えはあいみょんにしかわからない。答え合わせができない限り、人はもしかしたら自分が間違っているかもしれないという思考もどこかに備えておくべきだ。

 

 あいみょんは、いま人気のシンガーソングライターだ。ドラマの主題歌を多くこなし先月には日本武道館でのワンマンライブも見事成功に収めた。まさしく、日本を代表する若手ミュージシャン。個人的な好きな曲は「愛を伝えたいだとか」なんだが、そのどこかにありそうな普遍性を、つまりは普通の人が実際に思っていそうなことを力強く歌う力は素晴らしい。歌詞と作曲。シンガーソングライターというのは、その2つの才能が必要になる。それを兼ね備えた人こそ、あいみょんだ。

 

 じゃあ、メダロットはと言うとずっと1997年から2016年までずっと作品が制作されているような人気シリーズだ。コアなファンも多く、今回の盗作騒動もその人々が「メダロット2」をいまプレイして発見したものかもしれない。そのナンバーの通り、メダロット2は1999年に発売された2作目の作品。およそ20年前。そのハードはゲームボーイ・カラー。ゲームボーイ・カラーというハードを知らない人も多いだろう。ニンテンドースイッチニンテンドーDSゲームボーイアドバンス。そうして遡った先にようやくゲームボーイ・カラーは地層から化石のように発掘される。そんな昔の話だ。

 

 盗作問題に戻る。あいみょんが生まれたのは、1994年。メダロット2発売は1999年だ。あいみょんが5歳の時。そんな年齢ならあいみょんメダロット2をプレイしている可能性はなくもない。その時の記憶が深層心理に残っていたとして、それが今になって溢れ出した。そんな説を提言する人もいるが、まあそれもなくはない。なくはない。しかし、それがなくはないとするならば、むろんあいみょんメダロットサウンドクリエイターが2人とも同じメロディーを生み出すことだって、なくはない。

 

 ここで話は更に遡っていく。無限の猿に。何が言いたいかはわかっていただけるだろう。あいみょんがいつまでもメロディーを作曲している限り、いつかは知らなくてもメダロット2のBGMを思いつく。その可能性はありえる。無限の猿がシェイクスピアを1文字目に打つ可能性は万が一、億が一、兆が一でもなくはない。しかし、無限の猿よりもあいみょんの方が確率はある。猿はキーボードを無造作に叩く。しかし、彼らは違う。無造作にではなく、自分が突き立てたゴールの旗を目指して、「良いメロディー」を作り上げているのだから。

 

 彼らはずっと素晴らしいメロディーを目指している。その美しい音が頂上だとすれば、エヴェレストを表と裏から登っただけに過ぎない。ああでもないこうでもないと叩き続けたキーボードが偶然およそ20年前と現在で同じ文字列を並べた。そうした可能性もなくはない。彼らは無限の猿よりも、熱く狂った主人公なのだから。その飽くなき執念が、そのような奇跡を生み出したっておかしくない。そんな奇跡じゃなかったと悲嘆するのは、本人がそういった疑惑について認めてからにすべきだ。

 

 すべてはなくはない。1以外ハズレのサイコロでも、1を引き当てる可能性はある。これはきっとすべての盗作問題に当てはまる話ではないだろうか。こればかりは当事者が否定している限り、その真実はわからないまま。答え合わせができないのだから、自分が正しいと信じきるのはやめてほしい。誰かに信じてもらえないということは、きっとすごく悲しいことなのだから。