もりたのおもしろいものたち。

8月16日「落日」(あるいは、嘘の話)

 

 

 

 

 

 

 人生で一番覚えている嘘はなんですか。

 

 あまりあってはならないことだけれど、僕は人に嘘をつくときにすごく罪悪感を持ってしまう。だから、よく自分のついた嘘のことはよく覚えている。嘘はよくない。それは勿論のこと。なるべく嘘はつかないようにしようね。そんな僕には、人生で一番覚えている嘘がある。それは僕が言ったものではなく、とある人に言われた嘘だった。それをふと思い出したので、今日は書いておこうと思う。

 

 小さい頃、母親の美容院についていくのが大好きだった。都会の街並みにある洒落た美容院ではなくて、車通りの少ない細い道の一角にあるようなこじんまりとした個人経営の美容院。家の一階をお店にしていて、お客様が座る椅子が2つあったけど、母親以外に誰かお客さんがいたことはなかった気がする。少し奥を覗けば小さな和室にテレビがあったことを覚えている。美容師のおばちゃんは綺麗なままに歳を重ねたような人で、幼い自分は話す時でさえ目が合わせられなかった。というより、あんまり話せなかった。だから、顔は覚えていない。たまにくれたバヤリースのことだけは覚えている。

 

 なんで僕が美容院に行くのが好きだったのか。その理由は、その美容院の横にあって、お店の端にあるドアを開けるとガレージのような物置のような小屋に繋がっていた。僕は母親が髪を切っている間に、美容師と母親の会話を背中で聴きながらそのドアを開けて、中に入っていく。すると、隅っこの小屋に柔らかいクリーム色したもふもふがいて、そいつは僕と目が合うとぴょこんと尻尾をあげた。名前をラッシーという、ラブラドールレトリーバーだ。僕はこのラッシーに会いたくて会いたくて、母親の美容院にずっとついて回っていた。体を撫でると嫌がることもなく、くすぐったそうに心地よさそうに目を細めて伏せていて、頭を撫でるとベロっと手を舐められた。そんな穏やかで人懐こい犬。おばちゃんが許してくれて、ふたりで散歩に行ったこともあった。大きな犬の手綱なんて持ったことない僕は緊張していたけど、ラッシーはそんな僕に合わせるようにゆっくりとゆっくりと後ろをついてきてくれていたのを覚えている。いま、書き出してもキリがないくらいに思い出がいっぱいだ。

 

 ある日、いつものように母親にくっついていって美容院に行った際、挨拶もそこそこにラッシーに会いに行こうとドアを開けると、いつもいる場所にラッシーはいなかった。美容師のおばちゃんに聞くと、「お父さんと遠いところまで散歩に行っている」と答えてくれた。ラッシーがいなくてつまらなさそうにしている僕におばちゃんは気を効かせてくれて、小さな和室でテレビを見させてくれた。夏の午後の、見たことないドラマの再放送。僕は一度も会ったことはないご主人はどんな人なんだろうとか遠いところっていったいどこなんだろうとかそんなことばかり考えていたのを覚えている。

 

 結局、その日ラッシーは帰ってこなかった。

 

 それから月日が経ち、中学生になった僕はそれを最後に美容院についていくことがなくなった。恥ずかしくなった。部活で忙しくもなった。ふとしたある日、家に帰ると母親がそのおばちゃんの美容院に行ってきたところだった。あの可愛いクリーム色のモフモフのことを思い出した僕は「ラッシーは元気にしてた?」と聞くと、母親は不思議そうに「ラッシーはもう亡くなったじゃない」と答えた。

 

 続けて、「あんたが最後に行った時にはもう既に亡くなってたじゃないの」

 

「そっか」と小さく呟いたあとに、僕は母親の前でボロボロと泣き出した。おばちゃんのあの言葉の意味をようやく理解した瞬間だった。最後にガレージに入った時の、いつもとは違う物寂しさの謎が解けた瞬間だった。あの言葉はおばちゃんの優しい嘘だったんだ。母親が自分を美容院に連れて行かなくなったのもそういう理由だったんだ。そういうことだったんだ。そう思いながら、鼻水を垂らしながらボロボロ泣いた。

 

 今になって思えば、あの嘘はおばちゃんが僕を悲しませないようについた嘘だったかもしれないし、自分自身に亡くなったご主人とラッシーがもしかしたら帰ってくるかもしれないそんな願いを込めてついた嘘だったかもしれない。嘘は良くない。そんなことは当たり前だけど、全部の嘘が悪いものなのかどうかと聞かれたら、僕は答えられない。僕にとっては、それほどまでに一番忘れられない優しい嘘だったのだから。

 

  ありがとうございました。 

 

 

落日

落日

  • provided courtesy of iTunes