雑記:内股のエグゾディア。
最強とは、なにか。
僕は最強が好きである。漫画のキャラで最強と呼ばれている人物が好きだ。スラムダンクで言えば、山王工業だ。さらに、ただなんとなく最強なんじゃなくて努力を積み重ね、自論に誇りを持っている人が大好きだ。イチローとか。最近左ききのエレンを読んでいると思う。最強が好きなのは僕自身がそういうものになりたいという憧れからなのかもしれないと。
真面目な話になってしまったが、僕はエグゾディアが好きだ。
ふざけていない。エグゾディアが好きだ。エグゾディアが手札に揃った時点で勝ち。そんなことがあって良いのか。ライフポイントがなくなったら負けというルールを、まさに次元が違う圧倒的な力でぶち壊す。ありえない。フィールドに出ているモンスター達も焦る。攻勢に出ていたデーモンの召喚がわたわたとあわてふためく姿はちょっとかわいいが、血気盛んなモンスター達からすれば困ったものだ。これは推測だが、デーモンの召喚はデーモンの召喚獣の印刷ミスだ。絶対。
そんな最強たるエグゾディアだからこそ好きだ。
しかし、そんなエグゾディアがもしも内股だったら?
エグゾディアがもしも内股だったら、全然怖くない。キレのあるスライダーとシュートくらいに足が曲がっていたら怖くない。手札に揃った時点で負けになるかもしれない。ていうか、内股の足が見えた瞬間に我を忘れて、サレンダーするかもしれない。なぜならエグゾディアが内股だからである。尿意を我慢しているようにしか見えない。ものっそい隆々とした筋肉のある脚がただ膀胱を塞ぐために機能しているようにしか見えない。手札にエグゾディアが揃った時点でプレイヤーが失禁するとかそんな効果に決まっている。二次元の存在である内股のエグゾディアが、三次元の我らに関してくる。まさしく次元を超えた攻撃。ありえる話だ。
なぜなら内股でもエグゾディアは最強だからだ。
しかし、内股のエグゾディアは怖くない。最強であってもだ。最強とは恐れられる存在である。最強だからだ。人々は恐れおののく。僕だって昔はエグゾディアが怖かった。ていうか、エグゾディアの顔が。なんなのあの顔。横棒いっぱいのシワシワ感。エグゾディアは怖い。しかし、内股のエグゾディアは怖くない。
この理論を用いれば、職場の怖い上司も怖くなくなるだろう。もしも、君のことを怒ってきた上司が内股だったら?どんなことを言われても、内股じゃんという気持ちしか浮かばないだろう。そう、今回伝えたかったのはこのことである。内股のエグゾディアから処世術になるとは誰が予想できただろうか。僕は無理でした。君にどれだけ怖い人がいようと、やつらは内股になるだけでカッコ悪くなるのだ。だから、君は怖い奴らに負けなくていい。
そんな理論で、蝶野正洋さんに目の前で内股になってほしいので誰か僕を蝶野正洋さんに会わせてください。
こちらからは以上です。