もりたのおもしろいものたち。

雑記:真面目な話をさせてよ。

 

 僕が高校の頃に聴いていた音楽は結構マイナーばっかりで、メジャーな曲を聴くことを少しばかり毛嫌いしていた。音楽の良さにメジャーもマイナーもくそもないだろうというのは正直な感想ではあったが、俗にいう中2病みたいなものにかかってしまっていた。わかる人にはわかると思うけども、ひっきりなしに残響レコードを好んで聴いていた。残響レコードをバカにしているわけではない。今でも好きだ。

 

 そんなにわか音楽知ってます丸出しの僕はオアシスとかビートルズとかジャイケルマクソンとかは我不聞(ワレキカズ)という漢文を使うほど固い意志を貫いていたので、最近になってこの曲がビートルズなんだ、とか、この曲がオアシスなんだ、とかそういう気持ちになることが多々あり、なんでもっと早くに出会ってなかったんだと悔しくなる。

 

Oasis 『Wonderwall』

 

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 特にOasisのwonder wallなんかは最初に聴いたときは涙が出るほど感動してしまった。すごくすごく素敵な歌だな、こんな曲が遥か前に生まれてたなんて驚きしかない。だがその一方で、音楽というのはその時点、いや、もっとその時点より遥か昔から完成してしまっていたのだ。昔、B'zの松本さんがこう言っていたそうです。

 

限られた音階の中で、どうしてあれだけ無限の可能性を秘めているのでしょうか

 

 その通りだと思う。もはや決まった限界のなかでしか音楽の自由は生み出せないのかもしれない。でも、無限の可能性を秘めている。自由を叫ぶロックバンドが手に取ったのは、決められた限界の中にあるギターだった。皮肉といえば皮肉みたいだが、それこそがロックじゃないだろうか。音楽は素晴らしい。転調とかそういうのがまったくわからないしそもそも音程の概念がわからない僕は、技術が高いとかそういう次元で音楽の話ができない。でも、それで音楽を楽しむ権利を剥奪されるのは間違っている。僕はそういうただただ音楽が好きな人達のために、「僕の好きな音楽はこんなんだぜ!みんなも聴いてくれ!」って言いたくてこのブログを書いている。自分の好きな音楽を広めたくて、広めたくて仕方ない。音を楽しむ、そう書いて、音楽。

 

 それってなんかいいよね。

 

 

 

 


 ところで、僕がマイケルジャクソンのことをジャイケルマクソンと書いていたことに気付いたでしょうか。正直みんなあんまり気付いてなかったと思います。

 

 なので、先日の飲み会でマイケルのことをジャイケルマクソンって言ったことは許してもらえますよね??